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2017年3月15日 (水)

北海道開拓の村 その2

 
今回は北海道開拓の村にある、私にとって懐かしい建物のお話からです。
 
 
北海道庁の旧赤れんが庁舎にも相通じるものがありそうな赤れんが製の建物ですが、
 
これは交番です。私が幼いころ、この建物はまだ現役でした。
 
創成川を背にして南一条通りに面して建っていました。私は母親に連れられてこの交番に
 
立ち寄ったことがあって、かすかにそのことを覚えています。
 
立ち寄った理由は覚えていませんが・・・
 
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前に見えているこの道が南一条通りでした。この道を右のほうへ行くと、札幌の老舗デパート
 
今井丸井デパートがあるというロケーションになります。このデパートは札幌市民から
 
「丸井さん」と呼ばれて、今でも親しまれていますね。本州にある「駅の近くの丸井」とは
 
別物です。
 
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その交番にあった石炭ストーブです。横には石炭箱があって、デレッキと呼んでいた火かき棒も
 
ちゃんと入っています。でも石炭をくべるためのじゅうのう(十能)とか、ストーブ台を
 
掃くための小さなほうき、炉ぼうきがないのはちと残念!
 
石炭箱の取っ手が斜めになっているのは、持ち上げた時に中の石炭がこぼれ落ちないための
 
工夫ですね。そしてストーブの上には蒸発皿。
 
これらの小道具は昔からの北海道人ならばみんな覚えているのではないでしょうか。
 
Img03
 
 
 
 
 
 
 
 
さてこちらは、北大教養部の学生が生活をしていた学生寮の「恵迪寮」です。私の同級生の
 
何人かはここで生活していましたので、こちらも何度か訪れたことがある懐かしい建物です。
 
Img04
 
 
 
 
 
 
 
 
こんな感じの看板もあったように思います。
 
でももっとすごいのは、誰の部屋だったか、札幌中央警察署の木の大看板があったことです。
 
高さは2mぐらいはあったのではないでしょうか? しかもこの警察署は札幌の中心部にある
 
ものすごく大きな警察署で、看板が掲げられている正面玄関には24時間警察官が立っている、
 
そんな場所からどうやって持ってきたのか、なんかとんでもない連中が棲んでるなーと
 
思ったものでした 。(まさに棲んでいるという字の方がピッタリくるような)
 
Img05
 
 
 
 
 
 
 
 
建物の内部は展示室になっていて、札幌農学校以来のたくさんの資料が展示されています。
 
Img06
 
 
 
 
 
 
 
 
かの有名なウイリアム・スミス・クラーク博士ですね。来日して札幌農学校の初代教頭に
 
なったのは50歳ごろのことでした。
 
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こちらはその肖像画ですね。実際の恵迪寮に飾られていたもののようです。
 
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北大で一番有名な寮歌がこの「都ぞ弥生」ではないでしょうか?
 
でも私たちは仲間内では、北大の寮歌ではなく、広く全国の学生たちに愛された「水産放浪歌」の方を
 
好んで歌っていましたが・・・
 
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その「都ぞ弥生」を作詞作曲したおふたりの写真です。明治時代の学生さんです。
 
この寮歌の前口上に「横山芳介君作詞、赤城顕次君作曲」という部分がありますので
 
その名前はほとんどの北大生が知っていると思いますが、実際の顔はそれほど知られて
 
いないかもしれません。
 
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こんなオルガンも展示されていました。こんなものまであそこにあったんですね。生活していた
 
蛮カラ学生にはそぐわないもののように感じますが、意外と幅広い教養を身につけていたのかも
 
しれません。(なんて言ったら怒られちゃうかな?)
 
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恵迪寮の展示室には有島武郎の写真も飾られていました。
 
彼は札幌農学校を卒業していますし、のちに東北帝国大学農科大学(北大のことです)で
 
英語教師も務めていました。ハーバード大学で学んだこともある人ですからね。
 
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開拓の村には、その有島武郎が結婚後に1年ほど住んだ家も展示されています。
 
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「生まれ出づる悩み」の原稿(複写)も展示されていました。
 
当たり前ですが万年筆で書かれていて、割と読みやすい字ですよね。
 
この小説は私も中学生の時に読みましたが、当時の私にはちょっと難しかったかな?
 
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部屋には手回し蓄音機と思しきものが置かれていました。横に置いてある箱にはおそらくレコード盤が
 
入っているんでしょうね。どんな音楽を聴いていたんでしょう?
 
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別の部屋にはゲーテの肖像画もありました。
 
「小さき者へ」の中に母がゲーテやナイチンゲールの肖像を飾っていたというくだりがあります。
 
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そしてナイチンゲールですね。
 
さらに向こうの部屋にある写真は・・・ 
 
Img17
 
 
 
 
 
 
 
 
家族写真でした。小さき者たちの母、奥さんの安子さんと長男の行光くんです。
 
安子さんは結核のために29歳で夭折してしまったそうです。長男の行光くんはのちの
 
映画俳優 森雅之です。若い頃から「羅生門」「雨月物語」「浮雲」といった名作映画に出ていた
 
ようです。
 
私が高校生の頃に観た「狙撃」という映画では、渋い殺し屋の役をやっていましたね。
 
大型拳銃のモーゼルを使いこなす凄みある役どころがかっこ良かったことを覚えています。
 
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コメント

昔の北大が良くわかりますが、木造建築でさぞかし寒かったろうにと思う私はどうなんでしょうか?

北里大学病院で一緒に働いていた医師は北大出身が多く、良く北国の生活を聞かされましたよ。

寒い北国に有名人が沢山おられたのですね。みんな現代の礎になった方方です。

ナイチンゲールの写真が飾ってあるのがおもしろいわ。


 
catさなえさんへ
 
私が小さい頃の冬はずいぶん寒かったですね。友達の親の話によると

彼らが子供の頃はもっともっと寒い気候だったと言ってましたよ。

最近の北海道は暖房をガンガンに入れて、家の中ではTシャツ姿という

ところもずいぶんあるようです。なので家の中は冬の北海道が全国で

一番暖かいかもしれませんね。

北里大学病院は北大出身の先生が多かったですか? 看護師さんじゃ

ないとわからない話ですね。

北大出身の有名人はたくさんいますね。有島武郎以外にも新渡戸稲造、

内村鑑三、札幌医大で世界初めて心臓移植をした和田寿郎、東電会長の

数土文夫、JR東日本相談役の松田昌士、作家の渡辺淳一、宇宙飛行士の

毛利衛、プロスキーヤーの三浦雄一郎、NHKアナウンサーの森田美由紀
 
さなえさんもナイチンゲールには注目しちゃいますね。
 

開拓村の建造物に しろねこさんが実際にかかわった建物があると言う事が凄いですね。
北大出身の有名人が沢山おられるのも素晴らしい事です。

こちらでは、夜寝る時はストーブなどは消して寝るけれども、北海道では一冬中付けっぱなしなんですね。 灯油代、電気代も凄い事でしょうね~。。と、要らぬ心配をする私です(*^_^*)

 
catmoonさんへ
 
自分が関わったことがある建造物が歴史的な遺産として展示されて

いるのにはちょっと驚きますね。それだけ私も歳をとったということ

でしょうか?

北大も私が学生時代に開校100週年を迎えましたから、そんな長い

時間経過の中で優秀な先輩たちがたくさん卒業していったということ

なんだと思います。

あははは、さすがに一冬中ストーブをつけっぱなしということはない

ですよ。それでもトイレなんかは夜の寒さの中で水道管が凍結してしまう

恐れもありますので、パネルヒーターを常時つけているということは

ありますが。うちのパネルヒーターはカタログによりますと1時間あたり

3.2円ということになっていますので、月の電気代は2,400円ぐらい

でしょうか。まぁいい値段ではありますね。
 

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